私がなぜ今の仕事をするようになったのか少しお話させてください。

私は小学生時代から頭痛持ちで何時もしかめっ面をしてました。

そうすると母親の親戚筋に当たるオバサマがどこそこに上手い整体の先生がいる、 みたいな情報をくれるわけです。

当時(1970年代)は、まだ今みたいなキレイでおしゃれなお店ではなく畳のうえに薄い布団を敷いただけの

治療室の店が多かったです。(私が通ってた店がたまたまそうだったのか?)

施術は決して気持ちいいものではありませんでした、子ども相手でも決して手を抜くことなく厳しかったのを覚えています。

手技以外にも、今も整体系のお店で見かけますが吸玉療法(カップリング)と言うのがあります。

(現在のタイプはコンプレッサーでおしゃれに真空にする)

ただ当時の吸玉療法は、それこそオシャレさも安全性も無かったのを覚えています。

どういうことかと申しますと、プラスチックのコップに燃料用アルコールを少し入れて、大半を湯切りの要領で捨てます

そこへ火を付けます、そのまま患部へ乗せます(主に背中)その前に患部を鋭利な刃物で少し突いて傷つけておきます、

そうすると背中のコップの中は真空状態になり血液が吸引されるという仕組みです、ここで吸引されて出てくる血液を
悪血と呼んでいました。

この吸玉療法のあとは丸い形の内出血と火傷が一週間くらい残りかなりブルーになっていました。

ですが治療後は、4週間〜7週間ほど調子が良かったのを覚えています。

現在、上記吸玉療法の件は医師法などに引っ掛かり完全にアウトだと思います…

私の記憶が正しければ30年くらい前までは接骨院(整骨院は正式名称ではない)でレントゲンとかして骨折部を確認したり

してました。(実際私も27歳当時ポータブルタイプのレントゲン装置で骨折部を確認されました。)

ほねつぎ、などの名称でも呼ばれていたとも記憶してます。

いずれにしても、整形外科の確立以前の話です。

中学生時代、施術後帰り間際に隣の待合室をちらりと見るとまだ5〜6人患者さんが待っていました。(そのとき午後11時過ぎ)

「今日中には全員終わらんやろなー、診る方も看られる方も大変やなあー」とか思いながら帰路についたのを覚えています。

[この頃からぼんやり施術家に対する憧れが少年の心に芽生えたのだー]かも?!

16歳を境に私の整体のお店の利用は一旦終了します。

高校、卒業後名古屋の専門学校に進学します…

20歳で就職後、サラリーマン生活を続ける中強い行き詰まり感を感じ始めます…

紆余曲折のあと40歳で整体師になるべく勉強を始めました!

当時を振り返ってみると来る日も来る日も汗びっしょりになりながら修行に励んだことが懐かしいです。

2年間の初期修行(その後6ヶ月の集中講習を受け認定書を頂く)の後、大分県臼杵の大繁盛接骨院(当時)での店舗修行
を皮切りに自宅で営業しながら計4店舗の整体やマッサージのお店で修行させていただきました。

現在18年目に突入したのを機に大分の皆様にも清々しい日常生活を送っていただく一助になればと思い府内町にお店を
出させて頂きました。

まだまだ若輩ではありますが、患者様一人一人に対して最善の施術を心がけておりますので安心してお任せください
宜しくお願いいたします。

最後になりましたが私は現在、定期的に整体やマッサージのお店へ通ってます、体の不調というよりも患者様の立場は
患者にならないと見えないと思い、続けてます。

最近、低体温の話題が世間を賑わせてますが代謝の低さは放置してて良いものではないと考えてます。

腰痛が良くなればそれでいい、肩こりが収まればそれでいいのではなく姿勢をただし、正しい姿勢を維持することで

肩の凝りにくい、腰の辛くなりにくい、体温の高い(正常)体作りのご指導をさせて頂きたいです。

この機会に当店へお越しくださいませ、こころよりお待ちしております!

※随分長くなりました、ゴメンナサイ〜、最後まで読んでいただき誠にありがとうございました!!!

時代劇俳優の楽屋みたいなお店の店主